猛暑の朝、クロード・モネ上野の森店に、児玉さんを訪ねました。ちょっとエキセントリックなモノトーン・ルックに、赤みがかったヘアカラーがとってもお似合い。
「私はB型なので、思いついたら即行動です」という児玉さんの生き方は、波乱万丈、驚きの連続、まさに超人。
インタビューの1時間が、あっと言う間でした。
Q. エレベーターガールは、今でこそほとんど見なくなりましたが、以前は女性の憧れの職業のひとつでした。
それなのに、美容師に転職されたのは、なぜですか?
学生時代から漠然と美容師になりたい気持ちはありました。
しかし美容師になるには高校を卒業してなお、美容学校に行かなければなりません。
実家は新潟の農家で、自給自足の生活、早く自立しなければと思っていたので、両親にこれ以上学校に行きたいとは言えませんでした。
超難関の高島屋に採用され上京、寮生活しながら頑張りましたが、もともと車酔いする体質で、エレベーターに乗るとお腹が痛くなったり、体調が悪くなるのです。
医師に相談すると、原因は精神的なものだから、職業を変えない限り直らないと言われました。
幸い1年半の寮生活で貯金が100万以上たまったので、退職し、そのお金で美容学校へ行くことにしました。
東京を出て、まったく知らない大阪の美容学校の通信部に行くことにしたのは、知り合いが誰もいない所で、美容師になるため一心不乱に頑張ろうと思ったからです。
大阪でもガラの悪い地区に安い部屋を借り、住宅地の小さな美容室で働きながら、勉強を始めました。
これで夢に近づけると、ワクワクしていました。
Q. 美容室で働きながら、通信で免許を取得するというのは、時間的にも体力的にも大変だったろうと想像しますが、この時期のことを教えてください。
今は制度が変わりましたが、当事は通信課程1年半の後、店で1年間インターンを経験しなければなりませんでした。
インターンするには大きな美容室の方がいいだろうと、全国展開している美容室チェーンの、大阪繁華街にある大型店に職場を変えました。それから1年間毎日、店長がたくさんのこまごましたチェック項目に基づいて、私の仕事ぶりを厳しくチェックします。
1日たりとも気を抜けず、この1年が一番辛かったです。
Q. その大阪の美容室で、アシスタントからスタイリストへの道のりはスムーズでしたか? どのように練習されたのか? あるいは先輩との関係などについて教えてください。
先輩が教えてくれるということは一切なく、「技術は見て盗むものだ。練習は一切するな」と言われていました。
営業後毎晩、先輩から「飲みに行くぞ!」と声がかかります。アシスタントの私たちは練習したいのですが、先輩に好かれたい一心で皆ついて行き、毎晩飲む。
それからアシスタントは皆こっそり店に戻り、電車の始発の時間まで練習、始発電車で部屋に帰り、シャワーを浴びて仮眠、午前10時の営業時間に合わせて出勤する毎日でした。デビューするまでの5年間、こういう生活でした。
Q. デビューされてから、仕事で一番嬉しかったことと、お差支えなければ一番悔しかったことを教えてください。
さあ今日からデビュー! という日の朝、ハサミを隠されるという嫌がらせを受けました。
新人の足を引っ張る先輩がいる一方、「これを使え」と、自分のハサミを貸してくれる先輩もいました。”先輩から認められるようになってみせる”と、社内外の様々なコンクールに出まくり、賞をめざしました。
会社主催の全国コンクールでは、カット部門2回、セット部門1回優勝。メーカー主催ロット1000本巻きコンクール(夜10時から夜通し朝までロットを巻きに巻き、スピードと正確さを競うもの)では、立っているのもやっとで裸足になって巻きました。やがて、大阪のこの店で店長になりました。
最大の挫折は、念願のパリコレでヘアメイクをやる夢を断たれたこと。ずっとヘアメイクをやりたくて再び上京し、東京の美容室を転々としましたが、安いカット専門店だったり縮毛矯正専門店だったり、やりたいことができない。
そんな時、新聞の求人広告を見て、クロード・モネ日比谷店に入りました。サーファーカットで有名なクロード・モネの名は、初めて上京した時から、雑誌で見て知っていました。
日比谷店でのサロンワーク以外に、雑誌の仕事をする社内チームに入り、水を得た魚のように仕事をエンジョイました。
東京でパリコレ・ヘアメイクオーディションが行われることになり、満を持して出場。惨敗。夢が終わったと思いました。しばらくは抜け殻みたいになりました。
Q. 児玉さんは、二人のお子さんがまだ小さいうちに職場復帰されました。
子育てしながら、美容師を続けるためには、ご自身の努力はもちろん、周囲のサポートも必要だと思います。児玉さんの場合、ご自分でどんな努力をされ、また周囲からどんなサポートを得られたのでしょうか?
復帰したのは、上の娘が2歳、下の娘が0歳の時。ブランクは3年足らずでしたが、流行についていけるか、お客様がまた私を指名して下さるのか、とても不安でした。
復帰前に日比谷店に通い、若いスタイリストに、今のセット、仕上げの仕方などアドバイスをたくさんもらいました。教えてくれたスタイリストは、もと先輩に教えるわけですからやりにくそうでしたが、私は真剣でしたし、後輩も真剣に応えてくれました。
復帰当初、他のスタッフと同等に働きたいと、二重保育しました。
午後6時、店から認可保育園に子供を迎えに行き、今度は無認可保育園に預けて店にとんぼ返り、夜9時にまた迎えに行くのですが、この生活は1年で無理が生じました。
そこで、店長(現 シルクハウス日本橋三越本店 早川ディレクター)と相談のうえ、勤務時間を短くし、区の保育園に転入しました。

その後、異動先の上野店の店長(現 桜井ブランドマネージャー)からも「子供中心で考えていいから」と言って頂き、本部の増山専務からは、自分がやりやすいように「好きなだけ条件を言え」と言って頂き…こんな理解のある会社があるのか!?と驚き、感激しました。
友達にも恵まれ、たくさん助けてもらいました。
私に代わって保育園に迎えに行き、私が帰るまで預かってくれたママ友。私にお客様をつけようと、団地の掲示板で私のことを宣伝してくれたママ友。
団地の庭で青空Cutし、娘たちが毛を掃除して、手伝ってくれたこともありました。
Q. 仕事を持つ母親は、いつも時間に追われ、子育てに休日も祭日もなく、元気を維持するのはとっても難しいと思います。児玉さんの元気の源は何ですか?
一番の元気の源は、娘たちです。
休みの日は、必ず一緒にどこかへ出かけます。
新大久保や、原宿、渋谷でウィンドーショッピングが多いかな。最近、娘たちが好きなFTISLAND(韓国の5人組バンド)のライブに3人で行って、ハマってしまいました。

もうひとつはマラソン。
産後太り解消のため、6年前からウォーキング、ジョギングを始め1年間で20s痩せました。
4年前10qマラソン大会に初出場。
これがすごく気持ちよい体験で病み付きになり、昨年念願の東京マラソン出場。昨年はハーフマラソン8本、フルマラソン3本走りました。
コーチについたかって? いいえ、独学です。DVDや雑誌や、高橋尚子選手の元コーチ小出監督の本などで走り方を勉強しました。
今年10月には、第1回大阪マラソンに出ます。
大阪マラソンが開かれることになって最初の大会なので、どうしても出たくて…(7倍の競争率で当選!)。
今年2月に行われた東京マラソンは抽選に漏れて出場できませんでしたが、もちろん来年も応募します。
Q. 仕事と家庭の両立をめざす美容師の方々に、アドバイスをお願い致します。
料金が高い無認可保育園より、区の保育園に預ける方が金銭的にも楽で、働きやすいです。
一方で、病気の時はすぐ呼び出され、微熱でも預かってもらえず、休まざるを得ない。すると、どうしてもお客様にもスタッフにも迷惑をかけてしまい、心苦しく、辛かったです。
でも、スタッフが支えてくれました。私に代わってお客様へお詫びの電話を入れてくれたり、夕方は最優先でヘルプに入ってくれたり、本当に親身にフォローしてくれました。
子育てと美容師の両立は大変ですが、自分が選んだ道と覚悟を決める事、そして、決して1人で抱え込まず、周囲に相談する事が大切です。一生懸命やっていれば、きっとみんながサポートしてくれます。
Q. お嬢さんたちは将来美容師ですか? そして児玉さんの夢は?
ふたりとも美容師になると言っていたのに、最近変わってきたようです。
下の娘は、職場体験で老人ホームに行って以来、介護士に興味を持っています。私のお客様もお年を召してきて、美容室に来られなくなる方が増えてきました。外出もままならないお年寄りのために、出張美容をしたい。会社として出張美容ができるようになれば、ぜひ担当させて頂きたいです。
お呼びがかかれば、夜でもいつでも飛んでいきます。
…そうして児玉さんは、ご予約で来店されたお客様のもとに、飛んでいきました。
■インタビューアー: TKS本部 刀根